届かぬ太陽

1

熱い吐息が身体の上で繰り返された。

あの彼が泣いている。
ずっと憧れていた、太陽のような人。

彼の泣き顔など、生まれてこのかた見たことがなかった。美しい鍛えられた肢体を、この身体の上で仰け反らせて、噎せ返るような甘い匂いを纏わせて、声をあげて泣いている。
尊敬と敬慕しか抱いたことのない、憧れてやまなかった彼が、まるで獣のように裸で跨り声をあげて、自分に赦しを乞いながら、腰を揺さぶり快感を引き出そうとしている。

「...……ご、ごめ、んッ……ッ……あ、あゆみ……ッ……ごめんな」

謝罪の言葉も甘い吐息に消えてしまい、降ってくるような甘い匂いに頭の中をぐるぐるに溶かされて、何もわからないままその腰を掴んで深い場所を突き上げた。

本能がさけんでいた。これは運命だと。

僕は、兄を…………抱いた。

気がつくと兄は僕の目の前から消えていて、僕は病院に搬送されていた。
そして僕は両親から兄がΩであり、あまりに強い発情期の発作をクスリで抑えられず、僕を襲ったことと施設に送られたことを聞いた。

全てが信じられない話だった。
兄はαだと思っていたし、周りも兄を普通のΩに対するような態度ではなかった。

Ωが入る施設のことは、噂では聞いたことがあった。優秀なあの兄が、これから子供を生産する道具のようにされるのかと考えたら、なんだかひどく吐き気がして止まらなかった。

両親も泣いていた。

僕も泣くしかなかった。
でも僕にはあのひとが、僕の運命のつがいだと分かってしまっていた。
戻ってきたらちゃんと両親に話して、兄を手に入れようと決めていた。


「局長!!!」

「局長、大丈夫ですか」

僕の頭の中はかなり長いことフリーズしていたらしい。
目の前に表示されていた機密文書にある、副局長の人事に信じられない気持ちでいっぱいだった。
「次の副局長をΩに任せるとか、上は何考えてるんだか」
僕の父親は、この宇宙警察を掌握する総監である。その人事力があったとしても、Ωを副局長にもってくるには本人の実力が無くては無理だろう。
兄が昔から何でもこなせる、有能な男だったのは知っている。
多分、この人事は彼の実力だ。
「そんなの足引っ張るだけでしかないでしょうに」
ふうと、深い息を吐き出すのは、次期副局長ともくされていた桑嶋である。
きっとコネで自分のポジションを奪われだと思いこんでいるのだろう。
「...……」
吐きそうだ。
今更、兄に会うだなんてどうしたらいいかわからない。

「局長、Ωアレルギーでしたね。大丈夫ですか?顔が真っ青だ」

頭の中がぐらぐらとする。
他のΩでは兄とは違いすぎて、吐き気がして仕方がなかった。
運命の番を知ってしまったら、それ以外を拒絶してしまうようだ。
考えるだけで、目眩が止まらななく顔を掌で覆う。

ガチャッと部屋の扉が開いた。

パッと見、彼が変わりすぎていてわからなかった。

優等生然とした彼はおらず、鍛え抜かれた無頼漢と言った様子の男で、愛嬌のある笑顔を浮かべて中に入る。

空気が変わる。

くらくらとする、柔らかい太陽のような香り。
たまらなく発情してしまうので、彼が本当に僕の運命の番にほかならないのはすぐに分かった。
抑制剤が必要なのはこっちのほうだ。

「チース、本日付けで海運捜査局に配属になった、鹿狩統久っす。お手軽にカガリンとか呼んでねー」
彼は僕に近づいてくると、まるで何も無かったかのような、昔のままの表情を向けてくる。
「...……久しぶり、アユミ。………10年ぶりかな」
ふわりと全身の感覚をもっていくようなフェロモンに僕は口元を押さえる。
彼はまったくなんでもないようだが、兄には抑制剤が効かないのだ。
ヒートに比べたら運命の相手のフェロモンくらいなんともないのかもしれない。

「...……お久しぶりです。統久兄様。施設に行かれてからお会いしていなかったので、てっきりご結婚でもなさっているのかと思ってました」
結婚するなら呼ばれないわけはないので、単なる皮肉だが、兄は困ったような顔をして僕を見下ろした。
「あ、ああ。……施設は1年経たずに追い出されてな。辺境警備隊に志願して、そっちで働きながら見合いしてたりしたんだが、中々貰い手がいなくてなあ。まあ、親父の見栄かしらねえけど、イイトコのαの坊やばかりで、30連敗。俺もイイ男だと思うんだけどね」
昔とは違う口調。あれから10年も経っている。
近親交配は遺伝子に歪みが生じるので、特にΩには禁じられている。
あらかじめ、運命だとしても変えられぬ宿命だ。

だけど、僕はもう…………彼以外のΩを受け入れられないのだ。
「それは、大変でしたね。資料を見ると辺境警備隊で大活躍だったようですね。今回、本部に戻ってきたのはどういうことです?」
今更戻ってこられても、困る。
先日僕は父の勧めでα型の女性と婚約したばかりだ。だからこそ父は兄を呼び戻し、兄もそれに応じたのだろう。父は兄の居所を、僕には一切言わなかった。
兄が、父に自分の運命の番が僕であることを告げていたのかもしれない。
「海運捜査局は、エリートのαばかりだろ?親父がさ、種馬探してこいってね。神聖な職場でそういうことって、乗り気じゃなかったんだけどさ、たったいまさっき気が変わったかな」
彼は、僕の横に立っていた桑嶋の腕をぐいと引き寄せる。
「俺の本能が、オマエが俺の運命のなんちゃらだと言っている。とりあえず今日からオマエは俺のバディだ」
そう決めつけた言葉を吐いて、桑嶋の肩をつかむ。

そんなはずはないのだ。
彼の運命は、僕なのだ。
僕が分かっているのだから、彼にも分かっているはずなのだ。だから、父に僕には会わないようにさせたんじゃないのか。

「兄様、それは本当ですか」
「本当だよ。だから、コイツとバディにしてよ。局長さん」
目の奥は僕との運命は、勘違いだと言わんばかりである。
自分は大丈夫だから、と必死でそう叫んでいるように思えた。
それはあの時、自分をセーブできずに僕と交わったことへの償いなのか。

「あとアユミ、来月オマエは結婚式なんだろ。端っこでいいから、呼んでくれよな」

運命の人は、絶対に僕には届かないひとだ……。

僕はその日、大量の抑制剤を買って毎日飲むことにした。
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