Master
10
せせらぎの聞こえる森の奥の川べりで、ガイザックは半裸で血に塗れた衣服を洗ってから岩にかけて干していた。
「ガイザック…………」
低く響く声音に、かったるそうな様子でガイザックは振り返り、声の主を認めるとひらりと気安い様子で手を振り返す。
上半身は裸のままで、ゆっくりと声の主の元まで歩み寄る。
「ああ、ケイル、待ってたぜ」
ガイザックは先ほどまで一緒にいたルイツを帰すときに、ケイルを呼んでくるように言いつけたのである。
「これから旅に出ると……聞きました。何故です?何故、我らと一緒に……居てくれないんですか」
もごもごといいづらそうな口調で言葉を募るケイルを手招き、服を干した近くの岩の上にガイザックは腰を降ろした。
「国家呪術師を甘く見るな。王の死も、奴らはオレの居場所も直ぐに突き止めるだろう。その時オレは最優先で、あのルイツって子を守る」
静かな口調で言葉をつむぎつつ、ケイルの顔を確かめるようにじっと眺める。
「もう15年前のあの時のようには、オレはお前も仲間も守ることができない」
「俺たちも、貴方に守ってもらうほど弱くは無い筈だ。貴方の事を、俺たちが守ればいい話だ」
反論しようとするケイルを、ガイザックは首を横に振って取り合わずに、近くに置いておいた大剣を掴む。
「お前たちがするべきことは違うだろう。そんなことじゃない。オレと一緒に居れば、必ず居場所を突き止められて襲われる。大所帯でいればオレも身動きがとれない」
「ガイザック……」
すっかり夜もふけて輝く星空を見上げ、ガイザックはケイルの肩を強く掴んだ。
「この組織を立ち上げた理由を思い出せ。ケイル。祖国を立て直したかったからだ。オレを守る為じゃない」
「……しかし……」
ケイルは死んだと思っていた、命の恩人であり大切な人に漸く再会できたと思った瞬間に離れていくだなんてと悲しく感じた。
ケイルはやるせない表情で、ガイザックを見返した。
貴方に返せるものがあるとしたら、組織を大きくして貴方の目指していたものを引き継ぐことだけだった。
「オレは悪いが組織もろとも心中する気はねえよ。呪いを解いて、自由になったら此処に戻ってくる。その時、オレの助けになってくれ」
「……わかりました……。だから、ガイザック、必ず戻って来てください」
祈るような気持ちで、ケイルはガイザックへと言葉を投げかける。
変わったと言っても、信念も強靭さも少しも変わらない。
ずっと心から愛していた。そして、今も変わらない。
「誓おう。オレは、必ず自由を手に入れて、この国を立て直す。オマエたちと一緒に。だから、その日まで力を削がずに必ず待っていてくれ」
大陸一の勇者は掴んでいた大剣を天井に翳し、不敵な笑みを口元へと刻んだ。
空の下で、何度も勇猛に戦う姿を目の当たりにしてきた。
やっと、再び出会えたのだ。
ケイルは、ガイザックの背中へと手を回しぐっと抱きしめる。
「おかえりなさい、ガイザック」
ただいまの言葉に未だ答えを返せなかったのは、こころのどこかで彼の変化に戸惑っていたからだ。
やはり、彼は彼だった。
人としての尊厳を奪われても、尚、失われない信念の輝きに惹きつけられる。
どんなに貶められても消えない輝きはそこにあった。
祈るような心地で告げたケイルのおかえりなさいの言葉に、ガイザックは僅かに戸惑いの表情を見せた。
そしてふうっと大きく息をつくと呆れたような声を響かせる。
「何だよ。急に。オマエ、いまさらね言うのがおっせえよ。そーゆーのは、直ぐにいわねえと効果ねえんだぜ」
ガイザックは困ったような表情で、長い髪を掻きあげてバリバリと音をたてて掻き毟っている。
突然改まったように言われたことに、彼は照れているのだろう。
ケイルは彼を見返して、感情が表情やしぐさで手に取るように分かり、単純な思考も全て15年前と一緒なことに安堵する。
「貴方を救ったのが俺だったら良かった。そうしたら貴方からもう離れないで済む」
そうしたら、ずっと一緒にいられる。
貴方を苦しませるようなことはなかったのに。
言外に告げる言葉に、僅かに目を伏せてガイザックは首を横に振った。
「オマエじゃなくて良かったと、俺はこころの底から思うよ」
返ってくる静かなガイザックの声に、ケイルは表情を硬くした。
抱きしめた体の温かみと、背中に回る腕の強さに拒否感は覚えない。
「…………そんなに、俺に抱かれるのは嫌ですか?」
やや、絶望をはらんだ表情を浮かべて、ケイルは相手の拒否の言葉の理由を確認するように問いを投げた。
「そんなこたァ、まー、どーでもイイよ。誰でも歓迎しちまう身体なんだし、誰にだって抱かれてやる。そういう問題じゃねえよ。…………王殺しは死罪だ。賞金がかけられて追われることになる。しかも、オマエはこの組織を動かしていて、顔も売れている。そうすっと……見つかり易いし、組織の中じゃ行動が難しくなる。作戦もかなり限られてくる。合理的に考えて、逃げ切るのは難しくなる」
返ってきたガイザックの合理的な返答に、ケイルは拍子抜けした。
図星をつかれた感情を取り繕って、危険な目に合わせたくないとか表面的な偽善の言葉が返ってと思っていた。
ガイザックの言葉は、かなり理屈が通っていると言えば通っているのだ。
拒絶ではないが、納得はいかない。
理屈を並べてもどこかで、自分を拒絶しているんではないかと疑ってしまう。
「じゃあ、俺が今貴方を抱きたいといったら、応えてくれるのですか」
試すわけではなかったが、ケイルはこの言葉に対してのガイザックの答えをきかなければ、納得はいかなかった。
かつての部下に抱かれなくてはいけないなんて、彼にとって屈辱にほかならないだろう。
一瞬ガイザックの腕が強張り、肩がぶるぶると震える。
ケイルは、どこかでやはりと思い落胆に肩を落とした。
やはり、理性のある彼は自分になど抱かれるのは絶対にしたくないくらいの屈辱なのだろう。
そんなこと分かっていたのに……。聞いてしまったことを後悔する。
瞬間、けたたましく笑いが響く。
「ブハハハッ、ハハハ、ケイル!!オマエもイイ歳して、盛りのついた十代じゃねえのにソッチの事しか考えてねえのか」
堪えきれなくなったとばかりに声を弾けさせ、身体を揺すって、笑い声を響かせるガイザックにケイルは呆気にとられた視線を返した。
パンとケイルの背中をおもいっきり叩いて、
「ああ、わかった。そーだな。さっきはイイとこ邪魔されて俺も不完全燃焼だ。責任とってもらおうか」
耳元で吐息まじりに囁かれれば、ケイルはごくりと喉を鳴らし密着した身体をじっと眺めた。
拒否でもなく、微笑みは15年前のあの頃と変わらず美しく優しい。
こんなに自分は変わってしまったのに、目の前にいるガイザックはまるで変わらず、以前より艶を帯びて色っぽかった。
「ガイザック……」
ケイルは首筋に唇をあてて、ゆっくりと肩を押してその身体を草の上へと押し倒した。
15年分の想いを込めて。
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